幸福を探求しない
私たちは皆、幸福を求めている。
そして、そうなるための戦いに明け暮れてきた。
「幸福がないから、不幸である。」
私たちはそのように考える。
そしてどこかに探しに行く。
これはまっとうな理屈であろう。
しかし、本当のことであろうか。
何か外的に幸福な要素を足すことで、私たちは幸福になるのだろうか。
もしそうなのだとしたら、何を得たらいいのだろうか。
食うに困らぬ生活水準でありながら、これ以上何を獲得するというのだろうか。
総体的にじゅうぶんすぎるほど知的でありながら、まだ知識の習得が足りないというのだろうか。
これだけの科学技術がありながら、もっと技術革新が必要だというのだろうか。
私たちは、どれほど便利な生活様式を形成すれば気が済むのだろうか。
私たちは、どこまで優秀な人間にならなくてはならないのだろうか。
私たちは、どれだけ高尚な人間を目指さなくてはならないのだろうか。
一体どこまで行けば満足するのだろうか。
そして私たちは、わからなくなる。
だからただ坐る。
ひたすらに気づき続ける。
すると、この何もしない時間のなかから、ひとつの理解が浮かび上がる。
きっと、幸福がないから不幸なのではない。
幸福を探し求めるから不幸なのだ、と。
幸福になることをあきらめたとき、
幸福を探求することをやめたとき、
今ここに幸福が浮かび上がる。
この真意を完全に理解したとき、私たちは幸福である。