やろうとせずにやる
「やる気を出しましょう。」
あなたはかつて、このように鼓舞されたかもしれません。
その言葉に従い、本当はやる気がないにもかかわらず、自分の中から無理矢理にやる気を絞り出そうとした方もいらっしゃるかもしれません。
そして、そのようにやる気を出そうとすることで、へとへとに疲れた方もいらっしゃるかもしれません。
その割に、はかどった気がせず、いら立ちをおぼえた方もいらっしゃるかもしれません。
心を無理に動かそうとするとエネルギーを浪費する
マインドフルネスの実践においては、心をいじくろうとはしません。
心との関わり方を見直そうとするときは、心を変えようとするのではなく、注意の向け方や行動を調整します。
これを日常生活に応用するなら、実は、やる気を出そうとすることは、非建設的な心との関わり方であるということに気づくかもしれません。
やる気は、出そうとして出せるものではないと僕は思っています。
それは波があって当然であり、出るときは自然に出るというものではないでしょうか。
ですから、やる気がないときにやる気を出そうとすることは、自分の心を駆り立てているということなのかもしれません。
それは、自分の心を無理に動かそうとしているということなのかもしれません。
それによって、心は抵抗するかもしれません。
目に見えた抵抗はなかったとしても、必要以上にエネルギーを消費することは間違いないでしょう。
やる気はなくても行動はできる
では、やる気がないときはどうすればいいのでしょうか。
やる気を出そうとするとエネルギーの浪費になるなら、やらない方がいいのでしょうか。
結論から申し上げると、やってもやらなくてもいいと思います。
それがやる必要のない行動なら、やらなくてもいいでしょう。
しかし、それをやらないと自分や周囲が困る等で、やる必要のある行動なら、やればいいと思います。
このとき、ひとつ誤解のないように申し上げておきたいのは、やる気はなくても行動はできるということです。
やる気がないからといって、やる気を出そうとする必要はないのです。
また、やる気が出るまで待つ必要もありません。
もちろん焦る必要はないのですが、おそらく待っていても、なかなかやる気は出ないでしょう。
ですから、やる気がなくても、やる気を出そうとせずにやればいいのです。
つまり、やろうとせずにやればいいのです。
淡々とやるとは、こういうことなのです。
今まで自分の心を駆り立てることに慣れてきた人であれば、本当にこれで大丈夫かと不安を感じるかもしれません。
もしくは、つい自分の心に鞭打つときもあるかもしれません。
しかし、それで構いません。
それも含めて、淡々とやり続けることが大切なのだと僕は思います。
そうすることで、やろうとせずにやるという姿勢が身につくことでしょう。
そのときあなたはきっと、自分の心を無理に動かそうとするよりも、淡々とやるほうが、ものごとを効率よく執り行えるということに気づくことでしょう。