天気は日々、移り変わります。
晴れの日があれば、雨や曇りの日もあります。
嵐や台風のように、大荒れのときだってある。
これだけ人間の科学技術が発達した現代においても、僕たちは天気を意のままに操作することはできません。
いくら僕たちが晴れてほしいと願ったとしても、実際晴れるかどうかは僕たちのコントロールを超えたところにあるのです。
僕たちが天気の前にできることといえば、たとえば雨が降ったら、傘を差したり雨宿りをしたりして、できるだけ濡れないように対処するぐらいではないでしょうか。
僕たちの心に対する関わり方も、それと同じようなものではないでしょうか。
僕たちの心もまた、いつも陽気であったり穏やかであるとはかぎりません。
ハイな気分のときもあれば、落胆したり怒りを感じたり、日々ころころと移ろうはずです。
それはあたかも天気のようです。
それに対して、心そのものを変えようとすることは、天気を変えようとすることと等しいのかもしれません。
天気への対処にならうのであれば、いちいち心を操ろうとするのではなく、心への反応の仕方などを見直すのが有効ではないかと僕は思います。
にもかかわらず、僕たちは心に関しては、自分の思いどおりにコントロールしたがるのかもしれません。
もしくは、コントロールできるものと信じて疑わないかもしれません。
それは苦しみを生むかもしれません。
行き過ぎたポジティブシンキングは、晴天ばかりを望むようなものではないでしょうか。
それは客観性を欠いた願望であり、曇天、雨天や荒天(つまりネガティブな心)に対して失礼であると僕は感じます。
晴天だけが天気ではないはずです。
むしろ曇天や雨天があるからこそ、自然界は循環するのです。
心もまた、それと同じではないでしょうか。
ポジティブとネガティブの間を循環することが、自然な心なのではないでしょうか。
ポジティブもネガティブも単なる一過性の状態であるということを知ったとき、あなたはそれらに対する特別な意味付けから、少しずつ解き放たれるかもしれません。
すると、あなたの心は真の意味で、健全に循環するのではないでしょうか。