本質で生きるマインドフルネス

瞑想おじさんの自己解放記

期待 ~百害あって一利なし~

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期待は百害あって一利なし。

 

そう。

 

他者が自分の思いどおりに動くかどうかは、自分にはコントロールできないこと。

 

そして、期待が外れたとき、相手を責める心が起きてくる。

 

このように、誰かへの期待は、与えてもらうことを求める依存的態度。

 

また、自分への過剰な期待も有害だ。

 

なぜならそれは、結果に対する執着だから。

 

現代では、結果へのこだわりはいいことのように思うかもしれない。

 

しかし、度が過ぎれば苦しみとなる。

 

突き詰めれば、結果は僕たちにコントロールできないものだということを、あなたもおわかりのはず。

 

そして、自分が期待した結果を出せないとき、僕たちは自分を責める。

 

このように、期待によって僕たちの心は上がったり下がったり。

 

期待心に振り回される。

 

もちろん僕も期待まみれだ。

 

何かに・誰かに求めては、思いどおりにいかなくて恨む。

 

もしくは、期待どおりにいったときは、さらなる期待を何かに・誰かに課す。

 

この不健全ループの繰り返し。

 

わかっている。

 

これが役に立たないことは。

 

わかってはいても、ムラムラと期待心が湧き上がる。

 

心とはそういうもの。

 

理屈どおりにいくものなら、僕もあなたも遠の昔にブッダのごとき悟りに至っているはず。

 

しかし、そのようにいかないのが心。

 

だから、期待をやめるような努力は、残念ながらきっとうまくいかないだろう。

 

それは海に起こる波を止めようとするようなもの。

 

それなら僕は、逆らわない。

 

せめて期待心に気づき続ける。

 

ああ、こんにちは。

 

ようこそようこそ。

 

まあゆっくりしていってくださいな。

 

僕はスリッパを床に置いて、期待心を歓迎する。

 

期待心が来ないことを期待しないし、

 

期待心に早く出て行ってくれと期待することもない。

 

なぜなら、それも期待だから。

 

このように期待心を抑圧せずに気づき続けることで、

 

能動的な期待をしないことで、

 

僕たちの潜在意識は少しずつ理解する。

 

「ああ、期待しても無駄なんだな」と。

 

そして、過剰な期待心は薄れていく。

 

期待からの解放。

 

それは僕たちの心を自由へと近づけることだろう。

 

期待は百害あって一利なし。