それはそれというだけ
それはただ、それというだけ。
それ以上でもそれ以下でもない。
そこには本来、意味はない。
それを特別なものに細工したがるのは、僕たちの心の仕業なのかもしれない。
しかし、それを特別だと思う心もまた、そうであるというだけ。
それを細工することもまた、そうであるというだけ。
それはただ、それというだけ。
ある権力者は言う。
「私がカラスは白いと言ったら、カラスは白いのだ。」と。
その言葉は、そうであるというだけ。
もし、その言葉にかかわらず、本当にカラスが白く見えるなら、カラスは白いのだろう。
しかし、本当はあなたの網膜には白く映っていないのなら、どうだろう。
あなたに見えたものではなく、その言葉が真であるとして、カラスを白いと思い込もうとするなら、どうだろう。
そこには、葛藤があるかもしれない。
その苦しみもまた、それというだけ。
観たまま。
感じるまま。
あるがまま。
それをそれとして認めた先には、何があるだろうか。
そこにあるのは、「思考で作られた『正しさ』は幻想である」という気づきかもしれない。
そしてそれもまた、それというだけ。
すべてはどこまでも、それというだけ。
しかし、それはそれでしかないというのもまた、味気ないものかもしれない。
ときには、ものごとを思考というスパイスで味付けするのもいいかもしれない。
「有意義」とは、そういうことかもしれない。
そしてそれもまた、それというだけ。