心を込めずに行う
ものごとに取り組むとき、心を込めようとする必要はないと私は思っている。
なぜなら、それは私たちの意志にかかわらず、心が勝手に決めることだと私は思うからだ。
無理に心を込めようとすると、おそらく心が抵抗するだろう。
そして、必要以上に疲れてしまうのだ。
心を込めなくても、ものごとに取り組むことはできる。
ならば、心を込めずに行う。
ものごとや状況の評価を手放し、淡々と取り組む。
ここは心を込めるべきだという思考が現れても、それに同調する必要はない。
(もちろん格闘する必要もない。)
面倒くさいという心が現れてもかまわない。
不快なままその存在を認め、再び意識を対象に戻す。
心を込めるかどうかは心に任せる。
もちろん、自然と心が込められているなら、そのままにしておけばいいだろう。
まずはものごとに取り組むかどうかが重要で、心が込められているかどうかはさほど問題ではないと私は思うのだ。
なぜなら、ものごとに取り組むかどうかは私にはコントロールできるが、心を込めるかどうかは私にはコントロールできないからだ。