マインドフルネス瞑想の本質
何のためにマインドフルネス瞑想を行うのか。
マインドフルネス瞑想をいかなる形で活用するのか。
それは人によって様々だと思います。
最近は、ビジネスの成功目的でマインドフルネス瞑想を活用しようという企業も増えてきているような印象を受けます。
恐らくマインドフルネス瞑想のある一面、すなわち脳の活性化やリラックス効果に着目してのことでしょう。
もちろんこうした観点から瞑想に価値を見出すことも、方法論としては十分理解できます。
しかし僕がマインドフルネス瞑想に価値を見出しているのはそこではありません。
たしかに僕も、マインドフルネス瞑想を行うことによって、頭脳が明晰になり、パワーアップしたかのような気になることもあります。
しかしそれはあくまで副産物であると僕は思っています。
今日は、僕が実践したことで感じたマインドフルネス瞑想の本質についてお話したいと思います。
お断りしておくと、これは普遍的事実ではなく、あくまで僕の個人的意見ということになります。
マインドフルネス瞑想の本質。
それは、今ここに存在している自分に価値を感じることです。
別の言葉で表すと、それは「自己受容を深めること」だと考えています。
なぜ、マインドフルネス瞑想が座して、もしくは横たわって、静かに行うものなのでしょうか。
それは、自分が存在していることに注意を向けるためなのだと僕は解しています。
今、ここにいる自分の存在に注意を向け続けると、どうなるのでしょうか。
少しずつ自分の存在が確かなものとして感じられるようになってくるでしょう。
つまり、何であれ私は今、たしかに生きて存在しているという体感です。
これは、自分が成功者であるとか失敗者であるとか、優れているとか劣っているとか、そういうことを超越した価値だと、僕は思っています。
これこそが真の自信であるとさえ感じます。
マインドフルネス瞑想をリラクゼーションツールとして使用することも、たしかにある一面として理に適っていると思います。
しかし僕は、もっと深い部分に着目しています。
上記したような自分の存在に対する体感は、恐らくある程度瞑想を深めてこそ、成り立つものだと思います。
瞑想を漫然と行うだけでも、ある程度の効果は得られるかもしれません。
しかし、深い瞑想を可能にするには、テクニック云々ではなく、やはりマインドフルネスの7つの姿勢の実践が必要ではないでしょうか。
ですから、僕が実践することで感じたマインドフルネスの本質は、ビジネスの成功目的で使う瞑想とは、立場も方向性も異なるのです。
なぜわざわざ僕がこんなことを述べるのかと言うと・・・。
マインドフルネスが、自己否定のための道具となってほしくないからです。
かつて、僕にはとても強い自己否定の癖がありました。
自分の存在に自信が持てなかったために、それを埋めるために、「成功」という鎧を纏って自分を飾り立てようとしたのです。
しかし、どんなに努力を重ね、「成功」しても、自分の足りない部分ばかりに目が向きました。
そして、自分が「成功」で得た虚像を守るために、さらなる努力を重ねるという苦行を自らに課していました。
その結果、僕は自信を得るどころか、努力をすればするほど、「成功」すればするほど、どんどん自信が無くなるという悪循環に陥ったのです。
今考えれば、至極当然のことです。
平時は自信がなく、「成功」したときにのみ条件的に自信を感じるわけですから。
「成功」によって得れば得るほど、それを失うことが怖くなって当たり前ではないでしょうか。
僕をその悪循環から救う一手となってくれたのがマインドフルネスなのです。
だから僕は、マインドフルネスを「成功」を貪るための道具として利用してほしくないのです。
もし、かつての僕と同じように、自己否定で苦しむ人が、ビジネスの成功目的でマインドフルネスを活用したとしましょう。
そして、何を以て成功とするのかはさておき、幸いにもビジネスで成功したとしましょう。
果たしてそこで満足して終わるでしょうか。
きっと、「もっと成功を、更なる成功を」と貪るのではないでしょうか。
なぜなら、成功している自分に条件的に価値を感じるのですから。
そして、「成功しない自分は価値がない。」と、失敗を過剰に恐れてむやみに努力するようになるかもしれません。
ただ、ひとつ誤解しないでいただきたいことがあります。
僕は「成功」を望むことを否定しているわけではありません。
むしろ、大いに「成功」を望めばいいと思います。
自らが何かを得たいと思う気持ちを押し殺す必要もないと思います。
しかし、そこには自己受容という土台があってこそだと僕は思うのです。
自分の存在そのものを認められているか。
それこそが大事ではないかと思うのです。
かつての僕のように、自分の存在価値の欠乏感を埋めるためにいたずらに「成功」を求めることはとても不幸だと思うし、その片棒をマインドフルネスに担がせてほしくないのです。
現代の消費主義社会は、どうしても自らが得ようとすることに傾きがちです。
資本主義経済は、それをさらに助長するかのように我々に欲を貪ることを煽り立てているのではないでしょうか。
ですからつい焦燥感に駆られて、必要以上に何かを得ようとしたり、どこかに楽園のようなゴールがあると考えて、今を否定し、むやみに努力してしまう人もいるかもしれません。
繰り返しになりますが、目標を持つことや努力することを否定しているわけではありません。
たとえそれが我欲からくるものであっても、むやみに否定するよりも、上手に付き合うことのほうが大事だと思います。
目標のために着実に行動することも、とてもすばらしいことだと思います。
何かを改善しようという想いは、強い推進力になるでしょう。
ただ、我欲にとらわれ今を否定することが問題だと思っているのです。
マインドフルネス瞑想は、その呪縛で苦しむ人たちを、そこから解き放つための手段のひとつとして、僕は希望を感じるのです。
何かを得た理想の姿を夢見るのもいいと思います。
しかし、今ここにいる自分こそ、本当の自分であることに気づいてみるのもいいかもしれません。