何でもいい。
できるかぎりで自他を害さずに生きていけるなら何でも。
何でもいいし、どうでもいい。
とにかく頑張らない。
今、頑張らなくてもできることだけをやる。
もしくは何もしない。
いずれにせよ、今できないことはやらない。
ただそれだけ。
ああ、心地がいい。
しかし、それに水を差すように、思考はなかば強迫めいて言う。
「頑張らないと、人生で損をするぞ」
損をする・・・か。
かまわない。
踊らされるなら、踊ってあげよう。
奪われるなら、譲ってあげよう。
強迫するなら、存分に怖がってあげよう。
どうぞお好きなように。
損得とは今ここと、いつかどこかの何かを比較し、優劣の判断をくだしたもの。
そのような幻想に、いちいち取り合う必要もない。
我が身の処遇は大自然に委ねる。
ただ流れ漂う。
ああ、心地がいい。
そのときそれはやってくる。
「私という人間は、優秀でなければならない」
「他者とは積極的に交流しなければならない」
「人生では、何か大きなことを成し遂げなければならない」
このように、私の心は「こうあるべき」でがんじがらめだったが・・・
ああ、本当に何でもよかったんだな。
何でもいいということ。
それは、すべてを受け入れているということ。
そこには正解も間違いも存在しない。
いや、この身に起こることは、すべてが正解ともいえる。
そのとき彼の心は、空集合と化している。
精神的には何にも属していない。
同時にすべての一部でもある。
そして彼は、真の安楽に包まれている。