チャレンジしないというチャレンジ
「チャレンジすることはすばらしいこと」
困難なことへのチャレンジがもてはやされるような風潮の昨今。
簡単なことを選んでやることに罪悪感を抱く人もいらっしゃるかもしれません。
そして、嫌がる自分自身に無理に困難なことをさせようとするかもしれません。
とても気持ちはわかります。
僕もそうでしたので。
しかし、本当にそのようにする必要があるのか、根本から問い直してもいいのかもしれません。
やりやすいことをやることは自然なこと
自分にとってやりやすいことをやること。
それは安易な逃げなのでしょうか。
いえ、そんなことはないと僕は思います。
流れる河を見てみましょう。
なぜあのように蛇行しているのか。
それは、水が削りやすい地質のところを進んでいったからではないでしょうか。
意図した動きなのではなく、自然にそのように流れていったのです。
自分にとってやりやすいことをやる。
それは自然の摂理からみても当然なことです。
だから、どんどんやりやすいことをやればいいのです。
もちろん、やりたいならチャレンジしてもいいのです。
ときには困難なことにも着手する必要はあるでしょう。
でももうやりたくもないチャレンジは、やらなくてもいいのではないですか。
少なくとも僕はやりません。
困難なことばかり進んで選ぼうとするのは、この自然界で人間ぐらいではないでしょうか。
もしかすると、それこそ不自然なのかもしれません。
チャレンジしないというチャレンジ
しかし、あなたも好んでそうしているわけではないかもしれません。
困難なことをやり続けなければ生きていけないという、強迫的な思考に支配されているのかもしれません。
それはあなたの意志を超えたことなのかもしれません。
それならば一度、坐ってみてはいかがでしょうか。
その思考を起こるままにさせてはいかがでしょうか。
そしてたとえ気持ち悪いままでも、何もせずに坐り続けてみてはいかがでしょうか。
本当に少しずつ、恐る恐るでいいので、自分にとって簡単なことを選んでやってみてはいかがでしょうか。
忍耐づよくこれを続けたとき
あなたは気づくかもしれません。
むやみにチャレンジしなくても生きていけるのだということを。
そして、それでいいのだということを。
自分にとってしなくてもいいチャレンジをせずに生きていくこと。
それもまた、すばらしいチャレンジなのかもしれません。