本質で生きるマインドフルネス

瞑想おじさんの自己解放記

中立的であること

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瞑想は、肯定も否定もしません。

 

瞑想は、集中でも散漫でもありません。

 

瞑想は、緊張でもリラックスでもありません。

 

ただ広がりの中にたたずんでいるのです。

 

このように、瞑想中の心というのは極めて中立的なのです。

 

瞑想が深まっているとき、あなたは心に妨げがないことを感じるかもしれません。

 

自分の意識が思考から浮遊している。

 

そのような感覚があるかもしれません。

 

中立的とは、そういった内面状態です。

 

誠実なあなたは、それを目指すかもしれません。

 

そして、そのようにできない自分を責めるかもしれません。

 

もちろん気持ちはよくわかります。

 

しかし、これは狙ってできるようなものではないのです。

 

ただ自分の内面を忍耐づよく観察し続けた先に、結果として起こることなのです。

 

だから自分を責める必要はありません。

 

自分を責めている自分を許してあげてほしいと思います。

 

中立的とは、思考を消そうと努力することではありません。

 

僕はヨーガ実践者ですが、ヨーガにみられる「思考の止滅」という言葉は脇に置いていただくことをおすすめします。

 

瞑想が深まっていても、思考は起こるときに起こります。

 

思考を起こるままにさせること。

 

起こった思考を自由にさせること。

 

その結果、思考にとらわれていないこと。

 

それが瞑想です。

 

思考を止めようとしないでください。

 

集中しようとしないでください。

 

リラックスしようとしないでください。

 

集中しようとしているときは、集中しようとしている自分に気づいていましょう。

 

そして、そのままにしておきましょう。

 

リラックスしようとしているときは、リラックスしようとしている自分に気づいていましょう。

 

そして、そのままにしておきましょう。

 

集中しようとしないことにより、本当の集中に至るのです。

 

リラックスしようとしないことにより、本当のリラックスに至るのです。

 

中立的であることは、この世界のパラドックスを理解する態度です。

 

実践はあなたをその理解へと誘うかもしれません。

 

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