私はかつて、自分の「心地よさ」に対して素直になれませんでした。
人は基本的に怠けるものだ。
だから、「心地よさ」を味わってしまったらそれに溺れ、安易に流されるのではないか。
そう思い込んでいました。
そして、心地がいいと感じることを遠ざけていました。
自ら選んで苦行をしていたのです。
(かつては脅迫観念でがんじがらめになっていましたので、自ら選んでいるという感覚はありませんでした。)
しかし、マインドフルネスの実践を通じ、その考えはむしろ逆であったことに気がつきました。
自らに苦行を課すから、かえって過剰に快楽を欲するのです。
自らに「心地よさ」を感じることを認めてあげないから、やること成すこと苦行になってしまうのです。
自らの「心地よさ」に対して素直にならないから、人が「心地よさ」を求めることが許せないのです。
自らの「心地よさ」を感じることを否定するから、心から感謝の心が起こらないのです。
だから私は、自分の「心地よさ」を少しずつ素直に認めることにしました。
そんな大層なことはしていません。
まずは自分の感じ方を観察する。
もし、暑いと思ったら素直に涼を求める。
クーラーがあったら点ける、なければ日陰を探す。
お腹が空いたら、空腹を満たす分だけ食べる。
こんな「当たり前」といわれることを続けていきました。
すると、私の中にあった満たされない怒りが少しずつ和らいでいきました。
このように、恐る恐る、少しずつでいいので、試しに自分が心地いいと思うことをしてみましょう。
堕落しないどころか、そのほうが楽であることに気がつくかもしれません。
しかし、こんな「当たり前」と言われることでも、あなたにとっては難しいことかもしれません。
それは、あなたが「自分は怠けてはいけない。」という強い思い込みを信じてしまっているからかもしれません。
それは決してあなたが悪いわけではありません。
いえ、あなたは何も悪くない。
なぜなら、その思い込みはあなたが持ちたくて持ったわけではないはずだからです。
もし耐えられそうなら、あなたの本心に聞いてみましょうか。
【ここから閲覧注意!】
※読んでいて苦しくなったら無理せず中断しましょう。
あなたの本心はどう感じているのでしょうか。
今、本当にそんな苦行がしたいのでしょうか。
本当は楽がしたいと言ってはいないでしょうか?
この質問を読んで、どう感じましたか?
多少苦しくなった方もいらっしゃるのではないでしょうか。
もし耐えられるなら、その苦しみを追い出そうとする代わりに、目を閉じてその箇所に意識を置いてみましょう。
本当に軽く、ただ置くだけでいいです。
どんな感じでしょうか。
胸や喉が締め付けられるかんじでしょうか。
まだ耐えられそうなら、心の目でその感じを眺めてみましょう。
ポイントは何も得ようとしないこと。
しんどくなったら無理をせず、目を開けて中断しましょう。
この苦しさは、あなたの本心があなたに訴えかけるメッセージです。
おそらく今まで、あなたはこの苦しさを邪魔者扱いして追い出そうとしていたのではないでしょうか。
これを排除しようとすればするほど、本心はあなたに聞いてもらおうとして、このメッセージを強くするのです。
もしあなたがこの先、少しでも「心地よく」生きたいなら、このようにして、自分の本心に耳を傾けてみてはどうでしょうか。
そのメッセージの真意はすぐにはわからないかもしれません。
これには忍耐が必要かもしれません。
しかし、先が見えない苦行を自分に課すくらいなら、希望がある忍耐をしたほうがいいと私は思うのです。