「手放す」とは
このブログでもよく使っている表現かと思いますし、心理読み物などにもよく登場する「手放す」という言葉について、その体感を言葉で説明したいと思います。
私もこの感覚を体得するのは苦労したものですから。
執着を「手放す」とか、ある感情を「手放す」とかいうふうに使いますよね。
まず、誤解のないようにしていただきたいのは、「手放す」とは対象を自分から無理矢理引きはがして投げ捨てるというようなことではありません。
そのような乱暴な扱いのことは指していません。
むしろ、もっと優しく自然に接するかんじです。
ではどのように接するのでしょうか。
「手放す」とは、対象をコントロールしようとしないことです。
つまり、対象を自分の思い通りにしようとしないこと。
こう書くと、じゃあその対象に無関心にならなければいけないのかと思う方もいるかもしれません。
決してそういうことではありません。
それに対して無関心を装いましょうとか、気にしてはいけないということではありません。
むしろあなたはそれに対して執着をしているから、それを自分の思い通りにしようとしてしまうのでしょう。
だから、気になって当然ではないでしょうか。
ならば、大いに気にすればいいのではないのでしょうか。
しかし、気になりながらも、対象のコントロールをやめていく。
コントロールをやめるということに意識が向きすぎて、コントロール「してはいけない」という心が起こったなら、自分がコントロールしようとしていることに気が付くだけでもいい。
簡単ではないかもしれませんが、楽に生きたいと願うなら、ぜひ、この「手放す」という感覚を体感していただければと思います。