【閲覧注意】
やや強い語調で自論を述べています。
断定的な言い回しを多用しています。
また、多少過剰な表現も含まれています。
不快に感じたときは、すぐに退出されることをお勧めします。
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達成することにどれほどの価値があるだろうか。
まだ世間では果てしない達成ゲームに興じている人たちで溢れているのだろう。
私はもうこのゲームから降りることにした。
達成することは大きな喜び
達成すること。
たしかにそれは、私たちにひとときの大きな喜びをもたらすかもしれない。
人はあなたの偉業に驚嘆し、あなたを称賛するかもしれない。
その快感たるや、想像を絶するものであるかもしれない。
それはあなたへのご褒美だろう。
感じたいだけ感じてみるのもいいかもしれない。
存在の価値>達成の価値
しかし、私はこれだけはお伝えしておきたい。
その悦楽は、私たちの存在があってこそのものだ。
達成するからあなたに価値があるのではない。
私たちの存在があってこそ、何かを達成することに価値があるのだ。
私たちの存在を前にしたら、達成することにはハナクソほどの価値しかないのだと私は思っている。
私はかつて、達成していない自分に価値はないと信じていた。
しかし、その考えは間違っていたとはっきりと申し上げたい。
達成することに私たちの存在価値を握らせてはならない
「主」は私たちの存在だ。
あなたに付随した偉業は、あなたそのものではないはずだ。
それはアクセサリーのようなものだ。
あなたはあなたであって、あなたが成し遂げた行動結果があなたではないはずだ。
行動結果は「客」だ。
主客を見誤らないことだ。
「主」であるあなたが「客」に支配される必要などないはずだ。
「客」に「主」の存在価値を握らせてはいけない。
何度も言う。
あなたは存在であって、行動結果ではない。
人があなたをどう見ているか、とても気になるかもしれない。
それはそれでいいだろう。
しかし、それとはかかわりなく、あなたは存在していること自体に価値があるのだ。
今は理解できなくてもいい。
私も長らく理解しようともしていなかったから。
しかし、事実、あなたが生み出す成果にかかわらず、あなたは存在しているからあなたなのだ。
だから、他者があなたをどう思っていようと、あなたは存在していることそれ自体に価値があるのだ。
無理にそう思おうとして思えるものではないだろう。
むしろ、今は追い求めたいだけ達成することを追い求めるのがいいのかもしれない。
挫折を繰り返し、どんなに達成しても満たされないことを悟り、達成することにさほど価値を見出せなくなったとき、それは悲しみとともに自然に私のもとに降りてきた。
「ああ、もうこんな終わらない消耗戦から退いていいんだ。」
その喜びは私にとって、達成する喜びの比ではなかった。