本質を活かす
私は人にはそれぞれ本質があると思っています。
本質とは、ひとことで表すと、生まれもって変わらない適性のようなものです。
たとえば、右利きや左利きのように。
右利きの人が、努力をして左手を器用に使えるようになることはできるかもしれません。
でも、右利きの人が左利きになることはできません。
これも本質のひとつではないでしょうか。
本質と世間的にあるべき姿とは別である。
私は以前、内向的な自分の性格が嫌いでした。
私が学生だったころは、コミュニケーション能力が高い人がもてはやされたものでした。
そこで、自己啓発本に書いているような社交的人間になろうとしたことがあります。
努力で多少は社交的っぽい人間にはなれました。
でも、どこか不自然で嘘っぽい。
結局、その不自然さへの不快感と、何よりも社交的人間を演じるしんどさに疲れて、内向的な自分に落ち着きました。
私の本質はやはり、内向的なのでしょう。
今は社交的でなければならないという自己洗脳から脱しています。
本質を大きく外れたことはいずれ破綻する。
自分の本質でないものに憧れ、それを取り入れようとするのはある程度有効かもしれません。
が、あくまでそれは自分の本質を基礎として、そのうえで積み上げられる範囲でないと、いずれ破綻するのではないでしょうか。
人は本質を大きく外れたことは、頑張ってもできないのではないか。
できたとしても、一時的なもので、身には付かないのではないか。
私は自分の努力を通じて、そのことを学びました。
それをできないと認め、あきらめ、別の方法を採ろうとすること。
それは逃げでも恥でもなくむしろ、本当に自分の人生を活かすための尊い道なのではないでしょうか。
本質を活かす
もし本質を活かして生きることができるなら、それはとても充実した人生なのではないでしょうか。
しかし、自分の本質が分からない人もいるかもしれません。
ここで、本質を特別な努力をして身に付けるものだと思うなら、それは誤解であると申し上げたい。
本質は、すでにあなたの中に存在しています。
本質を活かせるかどうか。
それは、あなたが自分の本質に気づいているかどうかにかかっています。
本質は本心が知っている
本質は本心が知っています。
もしかしたら、あなたの「本心」に思考や感情の網が複雑に絡まっていて、それが見えなくなっているのかもしれません。
あなたが「本質」を活かすためにする努力。
それは何かを得ようとがむしゃらに行動することではありません。
日頃から、今、このときの自分に意識を置くこと。
自分の心を抑えることなく観察し続けること。
「本質」に気付くために必要なことは、これらを忍耐強く実践することではないでしょうか。