本質で生きるマインドフルネス

瞑想おじさんの自己解放記

理想を追い求めない

この文章は、どんなに努力しても満たされない感じがある人にこそ読んでいただきたいと思い、執筆しました。

 

その満たされないものが何なのかを気づくきっかけになれば幸いです。

 

それ以外の方には、受け入れられなくて当然のものです。

 

そのことをご承知いただきますようお願いします。

 

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理想追求ゲーム

 

理想とは、追えば追うほど逃げていくもの。

 

いや。

 

それは理想だけではありません。

 

すべてがそうだと言っても過言ではないのかもしれません。

 

なぜなら、「追求」という精神作用自体が「ここにはないものを探し回る」という働きであるからです。

 

にもかかわらず、僕たちは理想追求に明け暮れているのではないでしょうか。

 

書店にもそれを推奨するかのような書籍が並んでいるかもしれません。

 

理想追求とは、麻薬のように魅力的なゲームです。

 

たしかにそれは、とても刺激的で楽しい時間であるに違いありません。

 

心ゆくまで味わうのもいいと思います。

 

僕ももちろん、何十年という長い間、それがいいことだと信じてそのようにしてきましたので。

 

「何物にも動じない心を手に入れる」

 

「この世のどこかにある、本当になりたい職業に就く」

 

「自分のライフスタイルに合った場所へ移住する」

 

こうした大義名分を掲げ、今という時間と戦ってきました。

 

しかしそれは、強い苦しみを伴うものでもありました。

 

今の自分と理想を比較し、常に今の自分を否定する。

 

そして、ある目標が達成されると、さらなる高い目標が新たに顔を出す。

 

または、

 

ある目標に挫折すると、それまでの過程を否定し、今度は別の目標へと乗り換えていく。

 

自分が欲しているものを持っているかのように見える人を、妬みうらやむ。

 

「いったいこの戦いはいつ終わるのだろうか」

 

「なぜ今の自分ではダメなのだろうか」

 

「本当にその理想が実現しないと満たされないのだろうか」

 

いつしかこうした問いが頭をよぎるようになりました。

 

そして、何度も挫折を経て、もう何も追う気が失せたとき、僕は悟りました。

 

どこまで行っても理想にはたどり着かないのだということを。

 

いえ。

 

理想にたどり着くかどうかではなく、今の自分を受け入れたときに満たされるのだということを。

 

だからあなたも、そんなゲームに疑問がわいてきたのなら、

 

そろそろその疑問に素直になってみてはどうでしょうか。

 

なぜなら、このゲームは自分でやめないかぎり、終わりがないからです。

 

その根底には「もっと良く」を求める貪欲と、

 

僕たちの思考が常に探さずにはいられない現状への不満があるのではないでしょうか。

 

理想はあっていい

 

このように言うと、

 

「そうか、理想とは悪なのか」と、

 

自分の心のなかから理想を追い出すことを試みるかもしれません。

 

気持ちはよくわかります。

 

ですがそれもやめておくのがいいでしょう。

 

なぜならそれもまた、「俺は理想を持たない人間になる」という理想追求だからです。

 

理想はあってもいいのです。

 

ただ、むやみに追うのをやめてみるだけでいいのです。

 

理想を追うのをやめるのなら、

 

まずは理想を自分の心の中から追い出そうとすることからやめてはどうでしょうか。

 

理想が心のなかにあることを咎めることなく、

 

理想は理想のままで置いておく。

 

しかし追いかけない。

 

そして、今自分にできることだけをやり続ける。

 

もしくは、何もやりたくなければ、何もせずそこにとどまる。

 

自分の内面にあるむなしさをなるべくいじくらず、ただそこに居させてあげる。

 

するとここから僕たちの真の変容がはじまるのです。

 

理想の害毒に気づく

 

理想を理想のままで置いておくことで、

 

僕たちは気づくことでしょう。

 

理想とは思考であって、事実ではないということを。

 

そして、僕たちはいかに今ここに存在している自分ではなく、理想という幻を優先していたかということを目の当たりにすることでしょう。

 

理想という名のもとに、僕たちがいかに自己否定を続けていたのかを理解することでしょう。

 

その理想が清く美しいものであっても、

 

高尚なものであっても関係はありません。

 

いや、むしろ立派な理想ほど、そこに含まれる欺瞞を見抜くかもしれません。

 

なぜならそれらは、人を巻き添えにせずにはいられないからです。

 

「我々はこんなにすばらしいことをしているのだから、おまえたちもこうすべきだ」と、

 

それを望まない人々にも強要し、従わない者に復讐的になることでしょう。

 

にもかかわらず、正義や美徳などという自己陶酔で正当化されうるのです。

 

理想が持つこうした害毒を徹底的に理解したとき、

 

自分のなかの理想はおのずと薄れていくことでしょう。

 

真の理想が現れる

 

あなたは思ったかもしれません。

 

「それじゃ理想など、あっても何もいいことはないじゃないか」

 

「これからは何も目標をかかげずに、無力感や虚無感のなかをずっと生きていけというのか」と。

 

あなたのそのご心配は当然のことです。

 

しかし、大丈夫です。

 

理想が特別なものではなくなったとき、

 

あなたにとっての真の理想が姿を表し出すことでしょう。

 

真の理想。

 

それは思考に形作られていません。

 

野心のような激しい高揚感はなく、

 

人を巻き込もうともしません。

 

それがどのような利益を生み出すのかということにも関心がありません。

 

真の理想には目標という概念がないので、

 

今の自分がそれと比べてどうかとか、

 

どのあたりに到達しているのかという測定にもさほど興味がありません。

 

また、常に自分を厳しく監視したり、口うるさく舵取りをしなくても、

 

おのずと自分にとっての適切な方向へと進んでいることにも気づくでしょう。

 

そのときあなたはろうそくのように静かに優しく燃え、

 

そっとあたりを照らしていることでしょう。

 

「貢献しなければ」と意識的に努力をしなくても、

 

ただ存在しているだけで周囲の人を喜ばせていることでしょう。

 

真の理想。

 

それは理想という言葉では表せません。

 

だから僕はこれを、

 

言葉では表さないこととします。

 

理想の追求をやめることで、

 

真に理想的に進み出す。

 

この世界はどうやらそういうところのようです。

 

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