「協調」の本来の意味
私は「協調」という言葉にどうしてもいいイメージが持てませんでした。
それは、子供のころに大人たちが使っていたこの言葉に強い同調圧力を感じたからに他なりません。
「みんなと同じようにしなさい。」
「みんなと同じことをしなさい。」
「協調」という言葉を振りかざして、「違うもの」を排除しようとしているのではないか。
子供ながらにそう思ったものでした。
しかし、本来の意味を見てみるとどうでしょう。
きょう‐ちょう〔ケフテウ〕【協調】
[名](スル)互いに協力し合うこと。特に、利害や立場などの異なるものどうしが協力し合うこと。「労資が協調する」「協調性」
(出典「デジタル大辞林」)
どこにも「みんな同じようにすること」とは書かれていません。
むしろ、「利害や立場などの異なるものどうしが協力し合うこと」と書かれています。
だから、みんなと同じような価値観や好みであるかないかも、みんなと同じような服装や髪型であるかないかも(※)、職場の飲み会に行くか行かないかも、協調性とは関係のない話なのではないでしょうか。
※私が中学生のころは、校則で丸刈りが強制されていました。
もちろん、あまりにも場にそぐわない奇抜な服装や髪型だったり、不潔だったりして周囲が不快を表明しているにもかかわらず、まるでそれに配慮しようとしないのであれば話は別かもしれませんが。
「協調」は協力することが前提です。
しかし、同じである必要はないのです。
違うまま協力すればいいのです。
そして、100%相手に合わせる必要もありません。
(もちろん心からそうしたいと思うなら、そうするのもいいと思います。)
また、100%こちらに合わせることを相手に要求するのも違うと思うのです。
両者に全く譲る気がなければ、「協調」は成立しないでしょう。
もし、こちらがいくらか譲歩しているにもかかわらず全く相手が譲ろうともせず、こちらがNOという意志を表しても相手が合わせることを強要してくるなら、もはや協調など無理でしょう。
もし、自分を守りたいなら、そこから離れる、もしくは逃げることも有効ではないでしょうか。
(たいてい建設的な結果はもたらさないので私はおすすめしませんが、あまりにも理不尽なら相手と闘ってもいいかもしれません。)
「協力し合うこと」が「協調」の本来の意味ですから。