このような経験をお持ちの方はいないでしょうか。
何かを嫌いになってはいけないと考え、ことさらにその対象を好きなのだと自分に言い聞かせようとする。
もしくは好きなふりをする。
ほんとうはそれが嫌いなのに。
巷にあふれる読み物には美辞麗句があふれているかと思います。
だから、それを真に受けてしまうかもしれません。
愛にあふれる人というのは、何にでも好意的に接することができるのだと解釈するかもしれません。
それで、あなたも「人を嫌ってはいけないのだ。」という想いを強化したのかもしれません。
僕は好意と愛は別物だと思っています。
好意は感情です。
愛は態度です。
好意のあるなしと愛とは、まったく関係ないとまでは言いませんが、必ずしもリンクするとは限らないのではないでしょうか。
愛とは、ものごとのあるがままを認めようとする態度ではないでしょうか。
ならば、嫌いなものに対して好意があるふりをするのは、むしろ愛とは遠い態度だと思います。
それは自分の嫌悪感をあるがままに認めていないことと同じではないでしょうか。
つまり、自分を偽っているのではないでしょうか。
もちろん好意が持てるなら、あるに越したことはないでしょう。
しかし、感情は持とうと思って無理に持てるものではないと僕は思っています。
今の段階で好意がないのなら、自分はこれが嫌いなのだ。と認めてもいいのではないでしょうか。
もちろん、わざわざ嫌いであることを表明しなくてもいいと思いますし、態度に表す必要もないでしょう。
嫌いであるという感情を抑圧せず、その存在をあるがままに認めること。
しかし、その感情にむやみに同調せず、相手にもその感情をぶつけないこと。
それが本当に愛のある態度なのだと僕は思います。