本質で生きるマインドフルネス

瞑想おじさんの自己解放記

あきらめるという貢献

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本当はもうこれ以上、やり続けたくない。

 

でもここであきらめてしまったら、自分の居場所がなくなってしまう。

 

周りにも迷惑がかかってしまう。

 

そして、あきらめることに罪悪感を抱く。

 

あきらめたいと思う自分を責める。

 

あなたはそのように苦しんでいるかもしれません。

 

それはまさに地獄です。

 

僕もそうだったのでよくわかります。

 

あきらめることは分かち合うこと

 

何かをあきらめること。

 

それは悪いことなのでしょうか。

 

そんなことはありません。

 

あきらめることは、地球や宇宙の規模でみると、ほかにふさわしい人にその対処を譲るということです。

 

つまり、問題を全体で分かち合うということです。

 

なぜなら、必ずこの世のどこかにはそれがやりたい人・それができる人がいるからです。

 

そして、このブログで何度もお伝えしていることですが、あなたにできることはほかにも無数にあります。

 

ですからそれをあきらめたからといって、あなたの居場所がなくなるということはありません。

 

挫折感などの心の傷はあるかもしれません。

 

また、多少の時間も必要かもしれませんが、傷が癒えたときにまた新たなスタートを切ればいいのです。

 

あきらめることはWin・Win

 

これはもう自分の手に負えないと感じたとき、それをあきらめること。

 

それは、今まさに苦しんでいる自分を助けることにつながります。

 

また、もしその事態が停滞しているのなら、いずれ必ず適した人がそこに配置されます。

 

※もし誰も配置されないなら、あなたがやろうとやるまいと、根本的に「対処する必要のないもの」なのです。

 

それによって、事態は動き出すことでしょう。

 

それは周囲を助けることでもあります。

 

あきらめることで、結果的に自分も周囲もプラスになる。

 

これはWin・Winの関係ではないでしょうか。

 

そうであるならば、

 

たとえひととき誰かが迷惑だと感じたとしても、

 

あきらめることは多大なる貢献であるにちがいありません。

 

hamamon91.hatenablog.com

 

p.s.

あきらめることについてネットで調べている際、僕と方向性の近い意見の記事を見つけましたので、リンクを貼らせていただきます。

 

自己否定で苦しむ人にとっては癒される内容でしょう。

 

ぜひご一読ください。

 

↓リンク

hikikomorikaihou.com