「弱音」を吐けるあなたの強さ
もし、苦しいことに対して「苦しい」と言うことを「弱音」というのなら、「弱音」を吐けるあなたは強い人だと私は思うのです。
おそらく、今の日本社会では、おおぜいの人が苦しいことに対して「苦しい」と言うことに抵抗を感じていることでしょう。
それどころか、本当は苦しいのに、苦しいと自覚さえできていない人もいるのではないでしょうか。
そのなかで、あなたは自分の苦しみを苦しみと認め、他者に表現までしている。
これが強さでなくて何なのでしょうか。
まだ今の日本の社会では、やせ我慢や強がりが美徳とされる傾向があるかと思います。
あなたの「弱音」を聞いた他者は、それを悪いことだと捉えるかもしれません。
残念かもしれませんが、理解が得られることは期待できないでしょう。
きっとその人にも悪気はないはずです。
本当にあなたの苦しさが理解できないのです。
だから、あなたは「弱音」を吐く相手を選んだほうがいいかもしれません。
あなたが心から信頼するごく一握りの人だけにしてもいいかもしれません。
そんな人はいないというなら、誰にも言わなくてもいいかもしれません。
あなたの苦しさを理解できない人のために、わざわざ嫌な想いをしてまであなたの苦しさを説明する必要はないでしょう。
でも、私はあなたにこれだけは言いたい。
「弱音」が吐けるあなたは強いのです。
そして、どうか、周りがどうであろうと、これからも自分の苦しみに気付き続けていてほしい。
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ちなみに、「弱音」の意味を辞書で見てみると・・・
よわ‐ね【弱音】
力のない物言い。また、意気地のない言葉。「弱音を吐く」
出典:「デジタル大辞泉」
苦しいことに対して「苦しい」と言うことは、必ずしも「弱音」ではありません。