本質で生きるマインドフルネス

瞑想おじさんの自己解放記

評価をくださない

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瞑想の要は、ものごとに対して評価をくださないことです。

 

あなたも瞑想関連の情報で、「ジャッジしない」という言葉を聞いたことがあるのではないかと思います。

 

それはまさにこの態度のことです。

 

これがある程度身に付いたなら、あなたの瞑想は格段に奥行きを増すことでしょう。

 

坐して、または横たわって行う狭義の瞑想は、そのための訓練であるといっても過言ではないかもしれません。

 

評価をくださない姿勢は、きっとあなたに深い洞察をもたらすことでしょう。

 

判断はものの見方を限定する

 

では、なぜ評価をくださないことが大事なのか。

 

それについて、少し説明しましょう。

 

ものの見方はジャッジをした時点で、いったん終わりを迎えます。

 

たとえそのジャッジが真実であろうとなかろうとです。

 

たとえばあなたがある人を、「あいつはいいかげんなやつだ」と判断したとします。

 

そのとき、あなたの中で、「あいつ」に対して「いいかげんなやつ」という枠組みが作られます。

 

きっとあなたはそれ以上、「あいつ」という人物そのものを観ようとはしないはずです。

 

あなたの中の「あいつ」に対する見解は、そこで深さも広がりもなくなってしまいます。

 

つまり、それ以上先には進めないということです。

 

ですから、思考の枠組みを超えて全体の視点でものごとを観るには、評価をくださない姿勢が必要なのです。

 

ただ評価に気づく

 

とはいえ、誤解のないようにしていただきたいことがあります。

 

それは、評価をくださないということは、評価をやめようと努力することではないということです。

 

なぜなら、評価をくだそうとする思考は、勝手に起こるからです。

 

あなたの想いとは裏腹に、おそらく様々なジャッジが頭を飛び交うことでしょう。

 

「これは嫌いだ」

「こんなことをすべきではない」

「まったくけしからん」

 

こうした思考が起こることを、あなたの意志で消そうとするなら、きっと新たな苦しみが生まれることでしょう。

 

だからこれらの思考を押し殺さないことです。

 

つまり、これらの評価すらも評価をしないこと。

 

それが大切なのです。

 

そのためには、ただその評価に気づいていればいいのです。

 

気づき続けることで、あなたと評価との間におのずと距離が生まれることでしょう。

 

しかし、重要なのは理屈ではなく実践です。

 

百聞は一見にしかず。

 

難しいことは脇に置いて、とりあえず坐ってみてはいかがでしょうか。