本質で生きるマインドフルネス

瞑想おじさんの自己解放記

ヨガマット新調

瞑想とヨガはやはり切っても切れない関係なのでしょうか。

 

瞑想を深めることでチャクラを感じたため、その流れでヨガの世界の門を叩くこととなりました。

 

そこで、「岐阜ヨガの家」で本格的にヨガに取り組むため、ヨガマットを購入しました。

 

hamamon91.hatenablog.com

 

僕は体に触れるものや長く使うものは、質感や色を重要視しますので、店頭で実物を確認したうえで買いました。

 

ヨガをやるからにはやはり、環境に配慮したメーカーの製品を選びたい。

 

そのなかで、デザイン等が良さそうなものにしようと思い、買う前から調べてメーカーの候補を絞っていました。

 

・・・で、店頭へ足を運んだ結果・・・

 

「suria(スリア)」という日本のメーカーの「HDエコマットプラス4mm」というラインのマットを選びました。

 

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第一希望は「manduka(マンドゥカ)」の「エックスヨガマット(5mm)」、カラー:「マジック」だったのですが、店頭では取り扱っていないとのことで、第二希望のこのマットを購入とあいなりました。

 

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この「マジック」という青紫に藍色が少し混ざったようなカラーが非常にそそられたのですが・・・残念!

 

いや、いいんですよ。

 

中島みゆきの「シュガー」の歌詞でもあるでしょ。

 

「人生は2番目の夢だけが叶うものなのよ」って(笑)

 

しかし、結果的には、この厚さ4mmのマットで良かったと納得しております。

 

後述しますが、5mmという厚さはちょっと、僕の用途では不便な面もあるかと思いますので。

 

では、話を購入したマットに戻しましょう。

 

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中間的で奥が深いカラー

 

カラーは「クリムゾンレッド」というそうです。

 

インターネットで事前に調べたときは、もう少し真紅に近い色かと思っていたのですが、実物はワインレッドとパープルの中間のような色です。

 

店頭にはこの色のほかにも、「スカイブルー」、「ラズベリーパープル」、「コーラル」、「シトラスイエロー」、「ニュアンスグレー」など、パステル調の明るい色から渋い色まで様々な色がありました。

 

他の色も魅力的で選ぶのに迷ったのですが、直感でこの色に決めました。

 

なんというか、この暑くもなく冷たくもなく、男性的とも女性的ともつかない中間的で奥が深そうなカラーに惹かれたのです。

 

絶妙な厚さ「4mm」

 

前述のとおり、マットの厚さは4mmです。

 

ヨガマットには6mm、5mmや2.5mmなど、使い方や好みに応じて色々な厚さがあるのですが、僕はこの4mmという厚さがなかなか絶妙なバランスだと思うのです。

 

基本的には家で使うのですが、今年度は月に2度ほど講座を受けますので、やはりそこにはmyマットを持っていきたいというもの。

 

5mm以上だと分厚くて丸めてもボリュームがあり、また重く感じますので、持ち運びは大変ですが、僕の場合はそこまで頻繁に携行することはないので、クッション性を犠牲にしてまで、2.5mmなどの薄型を選ぶ必要はありません。

 

実際に店頭で丸めた状態で比較してみても、厚さの面でも重さの面でも4mmがしっくりきました。

 

家でも使ってみましたが、分厚すぎず薄すぎないので、クッション性と接地感のバランスが僕にはちょうどいいと感じました。

 

このマットを使ってヨガに励み、瞑想を深めたいと思います。

 

 

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ただ聴く ~共感力の高め方~

前回、メンタルヘルスにおいて、「共感力」が大切であると述べました。

 

「共感力」とは、異なる価値観や考えを受け入れる度合いであり、これは日常生活の中で高めることができるのです。

 

今回は、その方法をお伝えしましょう。

 

 前回記事

hamamon91.hatenablog.com

 

 

では、どのようにして「共感力」を高めるのか。

 

それは、人の話を「聴く」ことです。

 

「共感力」を高めるうえで、「聴く」ことが非常に有効であるということは、アドラー心理学森田療法や、エーリッヒ・フロム著の「愛するということ」など、様々な心理メソッドにおいて共通して語られていることです。

 

愛するということ 新訳版

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「聴く」ということを難しく考える必要はない。

 

コミュニケーションに苦手意識がある人ならば、人の話を「聴く」ということを難しいものと考えるかもしれません。

 

しかし、その必要はありません。

 

自己啓発本やコミュニケーションマニュアルにあるような、「聞き上手」を目指す必要はないのです。

 

コミュニケーションに困難を感じているあなたが、名インタビュアーや阿川佐知子さんのようになんてなろうとしなくていいのです。

 

本当に相手の話をただ「聴く」だけでいいのです。

 

相手の話の内容は理解できなくても構いません。

 

むしろ、理解しようと努力しないほうがいいでしょう。

 

また、相手の話の内容に同意も納得もできなくてもいいのです。

 

相手の話の内容が好きでも嫌いでも関係ありません。

 

ただ、相手の話に耳を傾け、話の内容に関わらずあいづちを打つ。

 

本当にそれを続けるだけでいいのです。

 

気の利いたコメントは不要です。

 

むしろ、こちらはなるべく話そうとしないほうがいいとすら、僕は思っています。

 

騙されたと思って一度試していただきたいのですが、こちらは一言も話さないで、相手の話にただあいづちを打ち続けてみてください。

 

それだけでも会話は成立しますから。

 

沈黙で会話が終わるのは気まずいと思うかもしれませんが、相手が話し終わった後で「なるほど」とあいづちを打つだけで、会話は静かに収束していくものです。

 

とにかく余計なことは話さないことをおすすめします。

 

慣れるまでは何か物足りなくて不安かもしれません。

 

しかし、相手の話になるべく口を挟まず、忍耐強く相手の話を聴き続けることで、あなたは少しずつ、「共感力」が高まるということの真意を体感することとなるでしょう。

 

そして、嫌いな人との会話や興味のない話に対しても、抵抗なく耳を傾けることができるようになるでしょう。

 

共感力

しばらく心理や瞑想に関する記事を投稿していませんでしたので、久しぶりに・・・

一応こちらがこのブログの本分ですからね(笑)


メンタルヘルスにおいて、「共感力」が重要であることは、様々な心理の専門家も述べていることと思います。

僕もご多分に漏れず、それに同意見です。

「共感」とは、相手の立場や考えを理解しようとする態度で、「共感力」とはその度合いです。



「共感力」は、アドラー心理学で「共同体感覚」と呼ばれるものとほぼ同義で、これが高いと他者の異なる価値観を受け入れやすくなります。

「共同体感覚」に興味がある方は、ネットなどでお調べいただければと思います。

僕の言葉で「共感力」を簡単に説明すると・・・

「自分とは異質の存在に対する許容量」といったかんじでしょうか。

異質の存在と一言で表しましたが、これは自分と違う考えや価値観の人々と言い換えても差し支えはないでしょう。


どうでしょう?

こう聞いて、簡単だと思いましたか?

正直、僕にはとても難しいことのように感じてしまいます。



しかし、ここで僕が強調したいのは、「許容」というものをなるべく簡単に捉えてみましょうということです。

手放しで100%相手に身を委ねなくては、なんて身構えなくていいのです。

許容するうえでポイントとなるのは、

(1)対象の好き嫌いは問わない。
(2)とりあえず存在を許容すればよい。

ということです。


ポイント(1) 対象の好き嫌いは問わない。

自分とは異質の存在を許容するとはいっても、それを好きになる必要はありません。

もちろん、好きであるに越したことはないのですが・・・

嫌いなら嫌いで構わないのです。

無理に好きになろうとしなくていいのです。

そんな努力、キツいでしょう?

好き嫌いが問題の本質ではないのですから。


ポイント(2) とりあえず存在を許容すればよい。

仮に嫌いだったとしても、存在だけは認める必要があります。

存在の排除は、いわゆる「仲間外れ」というやつで、意図的にこれを行うと「共感」からはかけ離れてしまうこととなります。

存在を認めるとは・・・

私は彼が嫌いだ。

しかし、存在ぐらいはしてもいいよね。

とりあえずこんなかんじでいいのではないでしょうか。

もし、まだ存在してもいいと認められないなら、存在しているという事実を認めるところから始めてもいいでしょう。

私は彼が嫌いだ。

しかし、彼は実際、存在している。

嫌だけど。

・・・まずはここからです。

今はそれさえも認められないとしても、自分を責める必要はありません。

許しているかどうかというのは、結果としての状態です。

今、「許していない」という状態をすぐに「許している」という状態に変えることはできないのです。

人の心はオセロゲームの白黒のように、簡単にひっくり返せるものではないのです。

ですが、時が来れば、きっと受け入れられることでしょう。

それまでは、受け入れられないという事実を受け入れてみましょう。

受け入れられない自分を許してあげましょう。


hamamon91.hatenablog.com

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これは僕の持論ですが、「共感力」は体の硬さと同じように、生まれ持った個人差が如実に出るものと思います。

体が柔らかいほうがケガしにくいのと同じで、「共感力」が高いほうが何かと生きやすくはあるでしょう。



巷の心理読み物などを読めば、皆が皆、努力をすれば同じように「共感力」の高い人間になれると感じるかもしれません。

しかし、実際のところは、同じストレッチをしても180度開脚できる人もいれば、50度くらいまでが限界の人もいます。

だから、他の人は受け入れられていることであっても、自分には許せないということは、十分あり得ることです。

180度開脚できる人が50度まで開脚できる人よりも人間的に優れているなどということはありません。

だから、何も恥じる必要はありません。

少しずつ、自分のペースで「共感力」を高めていけばいいのではないでしょうか。



「共感力」は日常生活の中で高めることが可能です。

それは、特別なトレーニングをしなければいけないというわけではありません。

皆さんが日頃やっていることを、やや意識して行えばいいのです。

それは何か・・・

次回、お話ししたいと思います。

水仙の思い出

庭に水仙が咲いている。

  

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僕は水仙を見ると、隣に住んでいたばあちゃんを思い出す。

 

ばあちゃんといっても、血のつながりのある祖母ではなく隣人だ。

 

気が強く、世話焼きで、声が大きく、滑舌もはっきりしていて、まさに元気な人だったと記憶している。

 

母はよく「あの人はいい人なんやけどおせっかいやからなあ。」とこぼしていたが、僕にとっては優しいばあちゃんだった。

 

僕のこともよく気にかけてくれていて、朝、出勤する僕に隣の庭から声をかけてくれたりもした。

 

ちょうど6年前の今頃、僕は肝臓の一部を切除する大きな手術をした。

 

退院したとき、ばあちゃんは僕の体を気遣い、家に招いてコーヒーを振舞ってくれた。

 

そして、僕を元気づけるためだろうか、ばあちゃんの庭に植わっていた水仙を切って僕にくれた。

 

僕は水仙の匂いが苦手だったのだけど、そのときはばあちゃんの優しさが身に染みてうれしかった。

 

ばあちゃんは80歳を過ぎても変わらず元気だったので、この人はいくつまで生きるんだろうと思っていた。

 

しかし、その2年後、ばあちゃんは病で亡くなってしまった。

 

詳しい病名などは聞いていないけど、ばあちゃんは亡くなる数日前まで自分で雨戸を開け閉めしていた。

 

ご家族の話では、本人には病名や余命のことは伝えていなかったようだ。

 

でもばあちゃんは最期まで凛としていた。

 

亡くなった直後、仏様になったばあちゃんを拝みに行った。

 

当たり前なんだけど、あの元気なばあちゃんは、静かに眠っていた。

 

たしかばあちゃんが天に召されたのは、4年前のちょうど今ぐらいだったな。

 

水仙が咲くこの季節は、どこか切なく温かい。

 

越前大野の旅

福井県大野市

 

2月某日に福井県大野市へ訪問しました。

 

この冬一番の寒波が来たようで、 気温は氷点下。

 

雪が降り積もります。

 

さて、大野市なのですが・・・

 

県庁所在地の福井市から東へ約25kmほど離れた、北陸の小京都と呼ぶにふさわしい美しい城下町です。

 

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街のシンボル・時鐘(手前)と、天空の城として最近注目の越前大野城(奥)

 

僕はこの街の静かで穏やかな雰囲気が好きで、何度か訪問しております。

 

名水の町

 

ここに来た目的は・・・

 

ズバリ、湧き水を汲むためです。

 

ここ、大野市には各所に霊峰・白山からの伏流水が湧き出しています。

 

その中でも水汲み場として特に有名なのが、「御清水(おしょうず)」です。

 

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ここで水が汲めます。

 

この水は、とてもきれいなのです。

 

住民は野菜を洗うなど、生活用水としてこの湧き水を利用しています。

 

もちろん、この水は飲むことができます。

 

僕は水の味はあまり分からないのですが、ここの水は柔らかくまじりっけがなく、本当においしいと感じます。

 

しっかりペットボトルに5リッターほど詰めさせていただきました。

 

自然の恵みに感謝いたします。

 

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名酒・花垣

 

水を汲んだら昼食を摂って速やかに帰ろうと思っていたのですが、途中で目を引く酒蔵の前を通ります。

 

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「南部酒造場」

 

上品な蔵で、併設された販売所も清潔さを感じ、非常に気になりますので、ちょっと入ってみることにします。

 

後で知ったのですが、こちらは大野市では有名な「花垣」というお酒を醸す酒蔵だそうです。

 

販売所内はそれほど広くなく、陳列されている酒も多くはないと思ったのですが、とにかく洗練された気品を感じました。

 

温厚な雰囲気の店のおじさん(ひょっとして社長さん?)のアドバイスも聞きつつ、お土産の酒を購入しました。

 

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福そば 本店

 

お土産のお酒も買ったところで、昼食を摂って帰路に就きましょう。

 

というわけで、さきほどの酒蔵のおじさんに聞いたところ、蔵の近くにあるそば屋がおすすめということでした。

 

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「福そば 本店」

 

平日だったためか、昼食時でも店内は空いており、座敷でくつろぐことができました。

 

とろろそばをいただきます。

 

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そばはもちろんおいしかったのですが、僕が驚いたのは、そばと一緒に一品で頼んだ「さといも煮っころがし」です。

 

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ほくほくしていて、さといも特有の臭さやえぐさを感じませんでした。

 

ここ大野市はさといもの産地で、「上庄さといも」と呼ばれるブランドで全国的にも有名なのです。

 

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そば処 福そば本店

福井県大野市元町11-4

営業時間 11:00~14:00

TEL:0779-66-2930

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奥越は「水よし・人よし・空気よし」

 

さて、越前大野の旅レポートも、ここまでとしたいと思います。

 

大野市は、白山からの清流の恵みを受けた町です。

 

美しい水・穏やかな氣・おおらかな人の心を肌で感じることができました。

 

旅で関わった皆さん、ありがとうございました。

 

自分を愛する

人が愛せなくて苦しいのは、自分を愛していないからなのかもしれません。

 

人を愛するには、まず自分を愛する必要があるでしょう。

 

自分を愛するという言葉は、どうも敬遠されがちなように思います。

 

それはたぶん、自分を愛することとナルシシスト(不健全な自己愛)が混同されているからではないでしょうか。

 

本当は、それらは全く違うものだというのに。

 

むしろナルシシストは、自分を愛していないから自己中心的になってしまうのです。

 

  

他者貢献よりも先に自分を癒す

 

他者貢献は崇高な精神であると信じられ、世間でも推奨されているものと思います。

 

たしかにそれが幸福の一要因であることは、僕も疑う余地はありません。

 

しかし、もしその言葉がまだ重荷に感じられるのなら、無理にそうしようとしなくていいのではないでしょうか。

 

もしかしたら、あなたは人の役に立とうとするよりも先に、自分を癒すことが必要なのかもしれません。

 

自分が辛いのに、それを無視して人のために尽くそうとするから、ますます人が恨めしくなるのかもしれません。

 

ある程度あなたの傷が癒えたら、おのずと人に何かをしてあげたくなるでしょう。

 

だからまずは、徹底的に自分を癒してあげましょう。

 

 

とかくこの日本では、自分をいたわることに対して遠慮しすぎだと感じます。

 

もっと自分を大切にしてもいいのです。

 

 

 

理想の逝き方

僕には理想の死に方があります。

このような話をすると引いてしまう人がいるかもしれませんが、もし興味が持てそうなら、お聞きいただけるとありがたい。


僕はこの世に生まれた以上、いずれ訪れる死の恐怖を受け入れることが、生命の務めであると思っています。

なので、なるべく死というものから目を逸さないでいたい。

死など怖くないと強がるのではなく、怖くて当然なのだと認めたい。


今生のゴールとして死について考えるということは、有意義なことではないかと思うのです。

そうすることは、一度きりの今生を大切に生きることにつながるのではないでしょうか。


死について考えるといっても、最近ブームの「終活」とは違います。

葬式や遺産なども大事かもしれませんが、そういったことではなく、死そのものについて考えるということです。


僕の理想の死に方。

それは、「枯れるように死ぬ」ということです。


どこかが特に病んでいるということはなく、自然に力尽きて亡くなるというかんじです。

緩やかなデクレジェンドのように弱っていき、最期は一人で、またはごく近しい人だけに看取られて、自室で静かに事切れたい。

なるべくなら、ボケたり寝たきりになったりしないで。

餓死によらない即身仏といったところでしょうか。


そのために僕は、今出来うる努力をしています。

やはり足腰は大事だと思いますので、よく歩くようにしています。

また、歯槽膿漏と肥満は万病のもとなので、食事などの生活習慣にも気を配っています。

もちろん理想の死を迎えるために、かえって生きることが苦しくなっては本末転倒なので、「ユルい」努力を心がけていますが。

こうした姿勢は、僕の生活を張り合いのある豊かなものにしてくれています。


あなたも理想の死について考えてみてはどうでしょうか。

理想の逝き方は、理想の生き方につながるのかもしれません。


hamamon91.hatenablog.com