本質で生きるマインドフルネス

瞑想おじさんの自己解放記

マインドフルネスの効果について証言③ ~思考・感情との関わり方を知る~

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この記事では、数回に渡って、僕に表出したマインドフルネスの効果を、経験者の一人として証言しています。

 

さて、前回記事では、マインドフルネスの効果として体感した効果のうちの根幹となる部分、「あるがままの自分に近づく」=「自己解放」について触れました。

 

前回記事

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今回からは、僕に現れたマインドフルネスの体感のうち、枝葉の部分についてお話しします。

 

思考・感情の抑圧

 

僕はマインドフルネスを実践し、気づきを得るまでの間、「こうあるべきだ」という自分像に囚われていました。

 

特に、思考・感情について、「こんなことを考えてはいけない。」「こう感じるべきではない。」というタブーでがんじがらめになっていました。

 

恐らく、僕以外にもそのように苦しんでいる人は数多くいらっしゃることでしょう。

 

それは無理のないことかと思います。

 

日本では、養育者が子供の在り方や感じ方にまで口出しをすることが、あたかも当然のことのように行われる傾向がありますので。

 

(これは日本に限らず、東アジアの習慣的風習らしいです。)

 

自分の「あるがまま」の思考・感情を、いけないことだと抑圧してしまう。

 

また、常に自分の心を監視しているような息苦しさにも見舞われます。

 

僕も経験者なのでよく分かりますが、これは本当につらいことだと思います。

 

ポジティブシンキングの罠

 

僕は当初、ポジティブシンキングによって、この苦しさから抜け出そうと試みました。

 

自分の思考・感情に善悪の判断を下し、悪とみなしたもの、つまりネガティブなものをポジティブなものと置き換えようとしたのです。

 

もちろんこうした方法が上手くいく人もいるでしょう。

 

しかし、僕にとっては形を変えた思考・感情の抑圧でした。

 

ポジティブではない思考・感情を「こうあるべきではない。」と攻撃するようになったのです。

 

ネガティブな思考・感情が起こったときは、「ポジティブなものに置き換えなければ」と善悪の判断を下す。

 

そして、ポジティブなものに置き換えられなかったときは、「これではいけない。」と自分を責める。

 

身動きが取れない窮屈さでした。

 

思考・感情のコントロールを手放す

 

しかし、マインドフルネスの実践によって、僕は「自ら評価を下さない」という姿勢を少しずつ身につけることとなります。

 

そのことにより、思考や感情には真の意味で善悪などなく、それらは自分のコントロールの範疇を超えたものであるということに気づいていきました。

 

つまり、考えは正そうと思って正せるものではないし、正す必要もないのです。

 

一度感じた感情は、別のものに置き換えることはできないのです。

 

そのようにできる人もいるのかもしれませんが、僕の場合は、思考・感情に対してそのように関わることは、極めて非効率的であるということが分かったのです。

 

それからというもの、僕は思考・感情に対するコントロールを手放すようになっていったのです。

 

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思考・感情との適切な関わり方を体感する。

 

マインドフルネスの実践によって、僕は心をいじくりまわすことをやめました。

 

そして、考えとは距離を取って、客観視ができるようになっていきました。

 

感情は、快なものもそうでないものも、どちらもなるべくそのまま感じるようにしました。

 

ネガティブなものもポジティブなものも、両方の存在を認め、起こるがまま・去るがままにさせます。

 

すると少しずつ、時と場合によって、同調するものを選べるようになっていきました。

 

もちろんマインドフルネスも魔法ではありません。

 

今でも時折、同調したくないものに同調してしまい、心が乱れたり、感情的になることもあります。

 

しかし、我々も人間ですから、たまにはそんな自分でもいいのではないでしょうか(笑)

 

思考・感情との適切な関わり方は、マインドフルネスの枝葉の気づきだと述べましたが、僕にとっては、非常に重要な気づきの一つでした。

 

というのも、僕にとって、癖の強い自分の思考・感情というのは、どう付き合っていいかわからない「モンスター」でしたから。

 

それらとの関わり方を知るということは、長年の生きづらさを改善する大きな一歩となったのです。

 

これは僕にとって、かけがえのない成果物でした。

 

(続く)

 

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マインドフルネスの効果について証言② ~「あるがままの自分」に近づく~

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僕はマインドフルネスと出会って、約2年が経ちました。

 

2年間、ほぼ毎日欠かさず瞑想を続けています。

 

その過程で、生きづらさを改善する様々な効果が現れています。

 

これから数回に渡って、僕に表出したマインドフルネスの効果を証言します。

 

前回記事に、僕が伝えたい意図や注意事項を書いていますので、ぜひご一読いただきたいと思います。

 

前回記事

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「自己解放」

 

マインドフルネスを実践する過程で僕が感じられた、もっとも根幹となる実感。

 

それは、少しずつ「あるがままの自分」に近づいているという感覚です。

 

自分で使っておきながら、こんなことを言うのは何ですが、僕はこの「あるがままの自分」という表現が、実はあまり好きではありません。

 

「あるがまま」を、何か特別な状態であるかのように感じられる方がいらっしゃるのではないかと感じるからです。

 

いつでも「素」の自分で、何事にも動じない。

 

そんな風になれるのではないかと期待するかもしれません。

 

もちろん、そうなれる人もいるかもしれませんが、そこまで望むのはちょっと期待過剰ではないかなと思います。

 

ここで言う「あるがままの自分」というのは、それとはちょっと違います。

 

「こうあるべき」というこだわりを少しずつ手放していく、そんな姿勢でいることです。

 

※手放すのは自分に不要なこだわり(=執着)だけです。本当に必要なこだわりは、自然と残り続けるでしょう。

 

つまり、思考で作られた自分の虚像から自分を解放していくということです。

 

僕はこれを、「自己解放」と呼んでいます。

 

このブログタイトルの「本質」とは、「自己解放」が進むにつれて浮き彫りになる、いわば「真の自分」です。

 

つまり、ここで言う「あるがままの自分」と「本質」は、ほぼイコールのものだと捉えていただければと思います。

 

ただ、「あるがままの自分」は、なじみのある言葉だと思いますので、皆さんに分かりやすいように、あえてここでは使わせていただいています。

 

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ネガティブだと感じる自分の特性を許す。

 

「自己解放」が進む過程で、これまで自分でネガティブだと感じて、正そうとしてきた特性も、少しずつ許せるようになっていきました。

 

僕はよく、内向的だと評価されることが多く、かつてはそんな自分が受け入れられませんでした。

 

コミュニケーションマニュアルに載っているような、社交的で陽気な性格でなければいけない。

 

そう思い込み、そのような自分を演じようともがいていました。

 

しかし、マインドフルネスの実践を続けることで、内向的な自分のままでいいのだと認められるようになりました。

 

さらに言えば、内向的であることに「良い」も「悪い」もないのではないでしょうか。

 

赤道直下の地域が高温多湿なように、日本海側の地方が曇りがちなように、人間にだって変わらない性格の傾向があって当然だ。

 

みんながみんな、努力をすれば社交的な人間になれるという訳でもないだろうし、そんな必要もないだろう。

 

そう感じられるようになったのです。

 

つまり、内向的な性格が、僕の「本質」なのです。

 

※これは安易なレッテル貼りではなく、あくまで傾向として述べています。

 

それが認められたことで、僕はひとつの大きな重荷から解放されたのです。

 

今ではむしろ、この内向的な性格を気に入っています。

 

そして、これを活かして独りの時間を楽しむ術を身につけています。

 

このように、「自己解放」によって「本質」に近づくことは、自分にとって余計な荷物を手放して、楽に生きることなのです。

 

そして、「本質」を活かせば、自分の持ち味を効果的に発揮することができるようになるでしょう。

 

では、次回以降、僕に現れた効果のうち、枝葉の部分についてお話ししたいと思います。

 

(続く)

 

マインドフルネスの効果について証言① ~これだけは伝えておきたいこと~

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ここから数回に渡り、僕がマインドフルネスを実践して、実際にどのような効果が感じられたのか。

 

それをお話ししましょう。

 

こういった記事はブログ作成の初期段階で公開することが多いと思います。

 

なぜブログの開設から一年以上経った、このタイミングなのか・・・。

 

それは、情報の陳腐化を避けるためです。

 

ブログ設立段階初期は、僕自身、マインドフルネスを実践することで、新たに気づくことがまだまだあるはずだという、確信めいた予感がありました。

 

ある程度自分に納得ができるときが来るまでは、瞑想の効果について軽々しく言及したくないという想いがあったのです。

 

深い生きづらさに対処するなら、ターゲットを絞る必要がある。

 

また、僕はマインドフルネスに出会い、その実践に至るまでの間、長年に渡り、自身の生きづらさを改善するために、書籍やインターネットで様々な実践法を求めてきました。

 

それらの中には非常に有効なメソッドや、大いに参考となる情報はありました。

 

※いずれ、それらもこのブログの中でご紹介できればと考えています。

 

しかし残念ながら、多くは、マニュアルを書き写したような当たり障りのない浅い情報だったり、その人だからできる方法を、あたかも「誰でもできる」かのように語るものだったりしました。

 

もちろんそれらに救われる人もいるでしょう。

 

ですが・・・

 

「これらの情報では、深い生きづらさを抱えた人の支援には不十分だ。

 

やはり、深い生きづらさを感じる人に対して本気で支援をするのであれば、ターゲットをはっきりと絞って行う必要があるだろう。」

 

僕は強くそのように感じるようになりました。

 

生きづらさと一言で言っても、人の悩みは十人十色です。

 

何にしてもそうですが、誰にでも適応できる便利なメソッドなど、まずないと僕は思っています。

 

マインドフルネスは、万能薬や魔法ではない。

 

ですから、これだけははっきりと申し上げておきたい。

 

マインドフルネスは万能ではありません。

 

それだけですべての悩みが解決するというような魔法でもありません。

 

また、誰にでも同じような効果が保障されるものでもありません。

 

そして最後にものを言うのは、皆さんの実践次第です。

 

なんだか、このように言うと、夢や希望を挫いてしまうようで申し訳ない部分はあります。

 

しかし、僕は主に、深い生きづらさから抜け出したいと、散々自分を変える努力をしてきた人を支援したいと考えています。

 

そして、巷にあふれるポジティブ思考などの実践が上手くいかなかった人に対して、それらとは違う切り口から、有益な情報をお伝えしたいと考えています。

 

ですから、皆さんにはこれ以上、このブログで同じ思いをしていただきたくないのです。

 

そのことをご理解いただいたうえで、この記事を参照していただければ幸いです。

 

マインドフルネスは、生きづらさ改善の有効なメソッド

 

色々述べましたが、マインドフルネスの実践は、生きづらさを改善するためのメソッドとして、非常に有効であることは間違いがないと、僕は確信しています。

 

そのメカニズムや効果については、科学的に説明できない部分が大いに含まれることも否めません。

 

科学で説明できることなど、この宇宙の事象の内のほんのごく一握りにすぎないでしょう。

 

僕が長年感じた心身の不調すら、科学で解明できなかったのですから。

 

そしてそれらは、マインドフルネスの実践や瞑想によって、大きく改善したのですから。

 

ある程度の気づきを経て、今、次の段階へ移行するときが来ました。

 

僕は経験者の一人として、マインドフルネスの実践によって実感した効果を、この記事で証言したいと思います。

 

(続く)

 

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感謝できない自分を責める必要はない

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皆さんは、感謝できない自分を恥じたり責めたりしたことはありませんか。

 

もしかしたら、幼い頃、養育者から感謝を強要されるような雰囲気の中で育った方もいるかもしれません。

 

また、巷の心理読み物やポジティブ思考の指南書などを見ると、一つ覚えのように「感謝しましょう。」と書いてあるかと思います。

 

それらを深刻に捉えて、「感謝しなければいけないのか。」と考えてしまう。

 

そして、無理に感謝しようとして、苦しくなってしまう。

 

もしくは、とても感謝できないような言動をする相手に対して怒りをぶつけ、自己嫌悪に陥ってしまう。

 

「感謝できない自分は人としてダメなのではないか。」

 

こうも「感謝しましょう。」と言われると、そのように思い詰めてしまって当然ではないでしょうか。

 

僕もかつてはそうでしたから、よく分かります。

 

感謝できるかどうかは、自分でコントロールできない

 

たしかに感謝の心には心地よいエネルギーがありますので、感謝できるに越したことはないかと思います。

 

しかし、ポジティブ思考の指南書の多くには、誤解を招きかねない漏れが存在していると僕は感じています。

 

それは、感謝の心とは、起こそうと思って起こせるものではないということです。

 

さあ、感謝するぞと言って、何かスイッチを押したら即感謝できる、なんていうムシのいいものではないのです。

 

感謝の心は必要なときに自然に湧いてくるものなのです。

 

だから、今、感謝できなくてもいいのです。

 

感謝の心は自然現象

 

感謝は、自分ではコントロールできない自然現象なのです。

 

つまり、自分の意志に関わらずに降る雨のようなものです。

 

だから、やたらと感謝を勧めるポジティブ思考は、雨を降らせるために雨乞いをしましょうと言っているようなものなのです。

 

そのような意見を真摯に受け止め、「雨乞いをしたのに雨が降らない。」と嘆いて自分を責める必要があるでしょうか。

 

今は自分を癒すとき

 

「そんなこと言っても、いつまで経っても感謝の心なんて湧いてこないんだ。」

 

「この先だって感謝できるかどうか分からない。」

 

そう心配される方もいらっしゃるかもしれません。

 

もしかしたら、あなたはまだ心の傷が深く、今は自分を癒す必要があるのかもしれません。

 

自分の傷が癒えていないのに、無理に何かを・誰かをありがたがろうとするから、余計に苦しくなるのではないでしょうか。

 

「感謝するべきだ。」と自分自身に感謝を強いれば、ますます感謝の心から遠ざかっても当然ではないでしょうか。

 

一度、感謝することを脇に置いてみてはどうでしょうか。

 

あなたの傷が癒えるに従い、少しずつ感謝が湧き上がってくることでしょう。

 

僕も、感謝をしようとすることをやめることで、心から感謝できるようになっていきました。

  

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ヨガマット新調

瞑想とヨガはやはり切っても切れない関係なのでしょうか。

 

瞑想を深めることでチャクラを感じたため、その流れでヨガの世界の門を叩くこととなりました。

 

そこで、「岐阜ヨガの家」で本格的にヨガに取り組むため、ヨガマットを購入しました。

 

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僕は体に触れるものや長く使うものは、質感や色を重要視しますので、店頭で実物を確認したうえで買いました。

 

ヨガをやるからにはやはり、環境に配慮したメーカーの製品を選びたい。

 

そのなかで、デザイン等が良さそうなものにしようと思い、買う前から調べてメーカーの候補を絞っていました。

 

・・・で、店頭へ足を運んだ結果・・・

 

「suria(スリア)」という日本のメーカーの「HDエコマットプラス4mm」というラインのマットを選びました。

 

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第一希望は「manduka(マンドゥカ)」の「エックスヨガマット(5mm)」、カラー:「マジック」だったのですが、店頭では取り扱っていないとのことで、第二希望のこのマットを購入とあいなりました。

 

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この「マジック」という青紫に藍色が少し混ざったようなカラーが非常にそそられたのですが・・・残念!

 

いや、いいんですよ。

 

中島みゆきの「シュガー」の歌詞でもあるでしょ。

 

「人生は2番目の夢だけが叶うものなのよ」って(笑)

 

しかし、結果的には、この厚さ4mmのマットで良かったと納得しております。

 

後述しますが、5mmという厚さはちょっと、僕の用途では不便な面もあるかと思いますので。

 

では、話を購入したマットに戻しましょう。

 

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中間的で奥が深いカラー

 

カラーは「クリムゾンレッド」というそうです。

 

インターネットで事前に調べたときは、もう少し真紅に近い色かと思っていたのですが、実物はワインレッドとパープルの中間のような色です。

 

店頭にはこの色のほかにも、「スカイブルー」、「ラズベリーパープル」、「コーラル」、「シトラスイエロー」、「ニュアンスグレー」など、パステル調の明るい色から渋い色まで様々な色がありました。

 

他の色も魅力的で選ぶのに迷ったのですが、直感でこの色に決めました。

 

なんというか、この暑くもなく冷たくもなく、男性的とも女性的ともつかない中間的で奥が深そうなカラーに惹かれたのです。

 

絶妙な厚さ「4mm」

 

前述のとおり、マットの厚さは4mmです。

 

ヨガマットには6mm、5mmや2.5mmなど、使い方や好みに応じて色々な厚さがあるのですが、僕はこの4mmという厚さがなかなか絶妙なバランスだと思うのです。

 

基本的には家で使うのですが、今年度は月に2度ほど講座を受けますので、やはりそこにはmyマットを持っていきたいというもの。

 

5mm以上だと分厚くて丸めてもボリュームがあり、また重く感じますので、持ち運びは大変ですが、僕の場合はそこまで頻繁に携行することはないので、クッション性を犠牲にしてまで、2.5mmなどの薄型を選ぶ必要はありません。

 

実際に店頭で丸めた状態で比較してみても、厚さの面でも重さの面でも4mmがしっくりきました。

 

家でも使ってみましたが、分厚すぎず薄すぎないので、クッション性と接地感のバランスが僕にはちょうどいいと感じました。

 

このマットを使ってヨガに励み、瞑想を深めたいと思います。

 

 

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ただ聴く ~共感力の高め方~

前回、メンタルヘルスにおいて、「共感力」が大切であると述べました。

 

「共感力」とは、異なる価値観や考えを受け入れる度合いであり、これは日常生活の中で高めることができるのです。

 

今回は、その方法をお伝えしましょう。

 

 前回記事

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では、どのようにして「共感力」を高めるのか。

 

それは、人の話を「聴く」ことです。

 

「共感力」を高めるうえで、「聴く」ことが非常に有効であるということは、アドラー心理学森田療法や、エーリッヒ・フロム著の「愛するということ」など、様々な心理メソッドにおいて共通して語られていることです。

 

愛するということ 新訳版

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「聴く」ということを難しく考える必要はない。

 

コミュニケーションに苦手意識がある人ならば、人の話を「聴く」ということを難しいものと考えるかもしれません。

 

しかし、その必要はありません。

 

自己啓発本やコミュニケーションマニュアルにあるような、「聞き上手」を目指す必要はないのです。

 

コミュニケーションに困難を感じているあなたが、名インタビュアーや阿川佐知子さんのようになんてなろうとしなくていいのです。

 

本当に相手の話をただ「聴く」だけでいいのです。

 

相手の話の内容は理解できなくても構いません。

 

むしろ、理解しようと努力しないほうがいいでしょう。

 

また、相手の話の内容に同意も納得もできなくてもいいのです。

 

相手の話の内容が好きでも嫌いでも関係ありません。

 

ただ、相手の話に耳を傾け、話の内容に関わらずあいづちを打つ。

 

本当にそれを続けるだけでいいのです。

 

気の利いたコメントは不要です。

 

むしろ、こちらはなるべく話そうとしないほうがいいとすら、僕は思っています。

 

騙されたと思って一度試していただきたいのですが、こちらは一言も話さないで、相手の話にただあいづちを打ち続けてみてください。

 

それだけでも会話は成立しますから。

 

沈黙で会話が終わるのは気まずいと思うかもしれませんが、相手が話し終わった後で「なるほど」とあいづちを打つだけで、会話は静かに収束していくものです。

 

とにかく余計なことは話さないことをおすすめします。

 

慣れるまでは何か物足りなくて不安かもしれません。

 

しかし、相手の話になるべく口を挟まず、忍耐強く相手の話を聴き続けることで、あなたは少しずつ、「共感力」が高まるということの真意を体感することとなるでしょう。

 

そして、嫌いな人との会話や興味のない話に対しても、抵抗なく耳を傾けることができるようになるでしょう。

 

共感力

しばらく心理や瞑想に関する記事を投稿していませんでしたので、久しぶりに・・・

一応こちらがこのブログの本分ですからね(笑)


メンタルヘルスにおいて、「共感力」が重要であることは、様々な心理の専門家も述べていることと思います。

僕もご多分に漏れず、それに同意見です。

「共感」とは、相手の立場や考えを理解しようとする態度で、「共感力」とはその度合いです。



「共感力」は、アドラー心理学で「共同体感覚」と呼ばれるものとほぼ同義で、これが高いと他者の異なる価値観を受け入れやすくなります。

「共同体感覚」に興味がある方は、ネットなどでお調べいただければと思います。

僕の言葉で「共感力」を簡単に説明すると・・・

「自分とは異質の存在に対する許容量」といったかんじでしょうか。

異質の存在と一言で表しましたが、これは自分と違う考えや価値観の人々と言い換えても差し支えはないでしょう。


どうでしょう?

こう聞いて、簡単だと思いましたか?

正直、僕にはとても難しいことのように感じてしまいます。



しかし、ここで僕が強調したいのは、「許容」というものをなるべく簡単に捉えてみましょうということです。

手放しで100%相手に身を委ねなくては、なんて身構えなくていいのです。

許容するうえでポイントとなるのは、

(1)対象の好き嫌いは問わない。
(2)とりあえず存在を許容すればよい。

ということです。


ポイント(1) 対象の好き嫌いは問わない。

自分とは異質の存在を許容するとはいっても、それを好きになる必要はありません。

もちろん、好きであるに越したことはないのですが・・・

嫌いなら嫌いで構わないのです。

無理に好きになろうとしなくていいのです。

そんな努力、キツいでしょう?

好き嫌いが問題の本質ではないのですから。


ポイント(2) とりあえず存在を許容すればよい。

仮に嫌いだったとしても、存在だけは認める必要があります。

存在の排除は、いわゆる「仲間外れ」というやつで、意図的にこれを行うと「共感」からはかけ離れてしまうこととなります。

存在を認めるとは・・・

私は彼が嫌いだ。

しかし、存在ぐらいはしてもいいよね。

とりあえずこんなかんじでいいのではないでしょうか。

もし、まだ存在してもいいと認められないなら、存在しているという事実を認めるところから始めてもいいでしょう。

私は彼が嫌いだ。

しかし、彼は実際、存在している。

嫌だけど。

・・・まずはここからです。

今はそれさえも認められないとしても、自分を責める必要はありません。

許しているかどうかというのは、結果としての状態です。

今、「許していない」という状態をすぐに「許している」という状態に変えることはできないのです。

人の心はオセロゲームの白黒のように、簡単にひっくり返せるものではないのです。

ですが、時が来れば、きっと受け入れられることでしょう。

それまでは、受け入れられないという事実を受け入れてみましょう。

受け入れられない自分を許してあげましょう。


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これは僕の持論ですが、「共感力」は体の硬さと同じように、生まれ持った個人差が如実に出るものと思います。

体が柔らかいほうがケガしにくいのと同じで、「共感力」が高いほうが何かと生きやすくはあるでしょう。



巷の心理読み物などを読めば、皆が皆、努力をすれば同じように「共感力」の高い人間になれると感じるかもしれません。

しかし、実際のところは、同じストレッチをしても180度開脚できる人もいれば、50度くらいまでが限界の人もいます。

だから、他の人は受け入れられていることであっても、自分には許せないということは、十分あり得ることです。

180度開脚できる人が50度まで開脚できる人よりも人間的に優れているなどということはありません。

だから、何も恥じる必要はありません。

少しずつ、自分のペースで「共感力」を高めていけばいいのではないでしょうか。



「共感力」は日常生活の中で高めることが可能です。

それは、特別なトレーニングをしなければいけないというわけではありません。

皆さんが日頃やっていることを、やや意識して行えばいいのです。

それは何か・・・

次回、お話ししたいと思います。